プロフィール
  • 芸名 美空ひばり
  • 本名 加藤和枝
  • 経歴 9歳でデビュー(1946年)
  • 年齢 52歳にて永眠 (1989年)
  • 生涯レコーディング数 1500曲
  • オリジナル楽曲数 517曲
  • 所属レコード会社
    日本コロムビア株式会社

1940年代

1941年
01月15日 弟、益夫誕生。この年、レコードで流行歌を覚え始める。
1943年
04月22日 弟、武彦誕生。
06月 父・増吉が横須賀海兵団に入隊。その壮行会で「九段の母」を歌う。以降、出征兵士の壮行会、海兵団や軍需工場の慰問などで歌い、早くも天才少女として近隣に鳴り渡っ。
1944年
04月01日 滝頭国民学校に入学。
1945年
09月 父、増吉が復員。”ミソラ楽団”を結成。
12月 横浜・磯子の杉田劇場で初舞台。芸名美空和枝。
1946年
04月10日 ミソラ楽団と共に、横浜杉田劇場に出演。
09月01日 横浜市の映画館・アテネ劇場で昼夜2回3日間興行。宣伝ポスターに「スタア美空楽団演奏会 豆歌手美空和枝出演」とある。
11月23日
〜11月25日
横浜公園野外音楽堂で開かれた『第1回オール横浜総合芸能コンクール』に出場。「長崎物語」「小雨の丘」を審査員として並ぶ作家の久保田万太郎、村山知義、井上正夫らの前で歌う。翌日の神奈川新聞に <和やかに千秋楽、全横浜芸能コンクール=午前10時40分ハワイアンギターバンドの軽快な伴奏につれて磯子に住む国民学校初等科2年生の加藤和枝ちゃんが白いリボンに赤いドレス、ウクレレを抱いて登場し、「小雨の丘」を身ぶり手ぶりでよろしく、小夜福子そこのけの唄いぶりに開幕そうそう握手がわ> の記事。
12月 NHKの「のど自慢素人音楽祭」に出場、「悲しき竹笛」を歌うが、鐘が鳴らなかった。うますぎて審査員の反感を買う。「子供が大人の歌をうたうのは、どうも影響がよくないので…」和枝、大粒の涙を流し「どうしてなの…」(この時の歌「リンゴの唄」の説もある)
1947年
01月〜03月 横浜、杉田劇場で漫談の井口静波・音丸夫婦と初の興行。
横浜桜木町の「市民によるのど自慢大会」に出場。審査員の一人、古賀政男の「悲しき竹笛」を歌い、絶賛される。
09月 井口静波・音丸らと四国巡業中、バス事故にあるが、奇跡的に助かる。
10月 伴淳三郎が座長格の日劇小劇場『新風ショー』に出演。靴磨きの娘に扮し、初めて自分の持ち歌「あんたとあたり」(トランペッターの高坂清明作曲)を歌う。この時、芸名を美空ひばりと命名される。
1948年
03月08日〜 伴淳三郎座長の『東京グループ』の一員として横浜国際劇場に出演。美空ヒバリと広告にある。
05月01日〜 横浜国際劇場会館一周年記念特別興行で、子唄勝太郎の前座として出演、笠置シヅ子の「セコハン娘」を歌い、同劇場支配人福島博(後、通人)に認められる。
06月01日〜 続いて同劇場『女ターザンと黄金仮面』に出演。主演は松平晃、武智豊子等。
07月 横浜国際劇場の客員としてデビュー後、準専属となる。
09月 浅草国際劇場のテイチク祭りに菊地章子の代役として「星の流れに」を歌う。
10月 横浜国際劇場に笠置シヅ子が来演。同じステージで歌い、自分の物真似をおもしろがれ、可愛いがられる。
川田晴久が、ひばりの才能に惚れこみ、自分の巡業に加える。
1949年
01月 日劇『ラブ・パレード』に出演。「ヘイヘイ・ブギ」を歌うことを笠置シヅ子に禁じられ、急遽「東京ブギウギ」を歌う。共演灰田勝彦等。
02月 有楽座のコロムビア大会『春のヒットパレード』に出演。笠置シヅ子の代役で「東京ブギウギ」を歌う。伊藤正憲文芸部長の目にとまる。
03月 東映映画『のど自慢狂時代』に映画初出演。
06月23日 レコード初吹込。松竹『踊る竜宮城』主題歌「河童ブギウギ」。 8/12に吹き込んだ「悲しき口笛」は9/10に発売大ヒット。初主演映画、同名の松竹映画は10/24封切られ、これも大ヒット、一躍スターとなる
10月 日本コロムビアと専属契約。 「婦人朝日」誌に飯沢匡がひばりの中傷記事。
11月 映画『悲しき口笛』の燕尾服装が米「ライフ」誌に掲載される。
12月11日 第1回リサイタル、神田共立講堂。
12月 横浜市磯子区円山町に移転。